「許す」ということ
朝一でウェルスポのミーティングに出席(私は今年初出席)した後、神社に戻り、午後まで札所番。 夕方はいぶたんのプールへの送り迎えをしつつ、その合間に食材調達して、今夜は私が当番での夕食。 キムチ鍋にした。
ご飯も最近はまっている土鍋炊飯。 今日は浸水時間が取れなかったので、研いで土鍋に入れてすぐに炊き始め。 土鍋特有のふっくら感は少なくなるものの、逆に硬めに炊けて、これはこれでおいしかった。 そして、おこげが絶妙。 短時間で炊けるし、しばらく土鍋炊飯にはまりそうだ。
今日はお昼前、今後、この地域で神職を志したい方と宮司とともに面談した。 私よりも下の年代だが、同じ40代。 さすがに緊張の面持ちであったが、いろいろと1時間ちょっと、意見交換した。 とても真面目な方で、こういった方がただでさえ後継者不足が深刻な、この地域で神職を志してくれるのはありがたいことだし、きっとこれも御神縁なのだろう。
いろいろとお話しする中で、私が一つ伝えたのは、神社神道や神職は、ある意味「許す」ということが大切になるということ。 神職はややもすると、これまでの経験や、講習会等で会得してきた知識で、原理原則にこだわってしまうところがあるのだが、人によって神様を敬う形態はさまざまだし、その多様性こそが神道の良いところだと思う。 それらも認め、さらに、自分自身にも寛容になる(自分に甘くということではなく)ことが神職を続けていく上で大切なことだと思う。
神社はポカポカする、暖かい空間であってほしい。 日本の神々はそんな優しい存在だと思う。
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